カフジ油田から東洋のエーゲ海牛窓へ

私は採鉱学科油層講座の田中正三先生のご指導で多孔質体中の層流の圧力損失を表すDarcy式の適用範囲を求める実験をし、昭和56年に大学院を修了しました。履歴書を持参しないで石油会社を訪問し、面接も受けられず入社を断られたりしましたが、先生から「捨てる神あれば、救いの神ありですよ」と慰めていただき、日本オイルエンジニアリングに入社いたしました。

仕事は油層シミュレーションの仕事をし、その後アラビア石油に移籍して、サウジアラビアとクウエイト両国のカフジ鉱業所で同様の仕事をしました。アラ石撤退後は両国の合弁会社に移籍、定年後はコントラクタ-の派遣社員として同じ仕事をしました。私の場合は退職数年後に、税務署から所得税を支払らっていないとの事で多額の追徴課税まで課せられました。学生さんが卒後、個人で海外勤務をされる場合には、課税を日本か外国で支払うかを考慮して契約することを勧めます。

退職後は、瀬戸内海に面した牛窓に住み、2ヘクタール余りの休耕田畑を借りて、梅、蜜柑、柿等の果樹を栽培しています。3時半に起床し、日暮れ前まで草刈りと植え付けをしており、やっと梅雨直前までに植え付けを終えました。福岡正信の自然農法、木村秋則の自然栽培に感化を受けて、穴を掘って杉苗木を山に植えるような要領で植え始めました。肥沃な畑では、苗木がすぐに草で覆われますし、痩せた畑では苗木の丈は2年経っても殆ど伸びていません。殺虫剤も使わないので、葉が青虫に食べつくされて枯れますが、七星テントウムシ、ムカデが葉1枚1枚をくまなくはい回ってアブラムシを、蜂が青虫を捕食している姿を見て嬉しくなります。草刈の際は、蚊が舞い上がるのを無数のトンボが飛び交って捕食し、耕運、草刈りの際は、バッタ、カエル、マムシをカラスとトビが獲ってくれます。猪、鹿を獲って肉を食べ、鈴なりの果実を想い浮かべながら約250本の果樹栽培をしたり、ヨットやウインドサーフィンに乗って毎日が祝日の生活をしております。

岡山部会 林 三郎(BS-56院)

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